Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

華族に与える爵位をどう決めたのかがハッキリわかる。浅見雅男『華族誕生 名誉と体面の明治』

どうも。馬頭です。
ハンガリーでアッティラの墓が見つかったとかなんとか言うツイートが流れてきましたが、嘘くさいですね。結局なんだったんでしょうか。

それはともかく。

浅見雅男『華族誕生 名誉と体面の明治』

『華族誕生 名誉と体面の明治』

(浅見雅男。中央公論新社。中公文庫。1999年。762円。332ページ)
第一章 華族と爵位
第二章 誰が華族になったのか
第三章 叙爵内規はこうして決まった
第四章 公侯伯子男爵の誕生
第五章 侯爵が欲しい!
第六章 名門の誇り
おわりに
あとがき
主要参考・引用資料
文庫版によせて


華族という身分の誕生の経緯などについて書かれた本です。著者は華族研究の専門家・浅見雅男氏。もともと、リブロポートから1994年に出てたものが、中公文庫になったものです。

この本では、華族という制度のできるまでの経緯やその理由、華族の種類について、そして出来てからの諸問題などが語られています。
自分は、華族というと「日本の貴族のこと」という程度の知識しかなかったので、大変面白く読めました。
そもそも、自分はずっと「華族」が出来たのと同時に「爵位」も出来たのかと思ってましたが、華族の族称は版籍奉還の明治二年(1869年)にはじまり、爵位の決定は華族令の出た明治17年(1884年)だったのですね。基本的なことを知らな過ぎた。
元公卿・元諸侯(元大名)の人びとは、明確な線引をする叙爵内規によって5段階の爵位を貰いましたが、年金をもらえたり議員になれたりといった恩典があるものの、資産が無い家では貧乏で大変だったみたいです。爵位を返上した家もあるくらい。
そして、面白いのが、華族令のすぐ直後から、より高い爵位をもらおうと運動しはじめる人たちがいたことですかね。自分の貰った爵位が自分に見合ってないと思った場合や同じくらいか下にいた他家が自分よりも高い爵位だったりすると、そういうことをしだします。
でも、一部の例外を除き、公開されなかった叙爵内規の厳格なルールが適用されたようです。それは公卿では、大臣級の役職を出した家かどうかなど、過去の事例が重要だったということ、そして諸侯では、江戸時代の領地の石高が、表高ではなく現高でどれくらいあったかが、それぞれを分けるラインとしていました。つまり諸侯の場合、徳川幕府の作った地位・序列が否定され、考慮されなかったらしいのです。とにかく現高がいくらかだけが基準となりました。
なので、実はよく言われる「明治維新で逆賊だったから爵位が低くされた」というのも正しく無い、ということ。叙爵内規が公開されてないので、当の本人たちも自分の家の爵位の低さがそういう理由だと感じていた場合もあったとか。
でも、本当にキッチリやり過ぎたせいか不満・不都合が多かったらしく、その後すぐ、明治21年と24年の二度にわたり陞爵(しょうしゃく。爵位が上がること)して、微調整を行っています。
ここらへんの華族たちの動きやその理由の申し立ての内容など、凄く面白いです。

結局、こうしてせっかく「皇室の藩屏」として創設された華族ですが、はっぱをかけたり支援をしたり優遇したりしたものの、学問・文化的な面では多少業績があったりしますが、ほとんどの人が新時代に主導権を握れず、政財界の中枢には残れなかったみたいです。著者は西園寺公望や近衛文麿を指して、「蝋燭でさえ最後は輝くのにこいつらは輝きもしなかった」みたいなこと言ってて酷い言われようですが、ホントなんのためにいたのやらといった感じになってしまっているのが逆に面白いですね。

ところで、今回はじめて知ったことは凄く多かったのですが、中でもロシア関連だとこんなことが。明治維新直後、明治天皇が華族たちに民草の見本になるように海外留学して勉強してこい、ということを言って、たくさん華族が海外へと出て行ったわけですが、その中で、万里小路正秀(までのこうじなおひで)という人がロシアに行っています。万里小路博房の弟で、14歳の時に岩倉使節団と一緒にロシアに行って、それから10年間もロシアで勉強していたわけですが、明治15年に帰国してその功績を持ってして分家されて華族になりました。で、この人、なんとロシアでロシア人女性マリア・バユノフといい仲になって、連れ帰ってきて結婚しちゃったんですよね。日本の華族がロシア人と結婚! いやー、凄いですね。14歳でロシア行って、10年過ごせば、もうロシアに染まってロシア人みたいなもんでしょうが、これには兄の博房ら家族も大反対。なんとか結婚したものの、結局うまくいかなかったようです。残念。ニコライ皇太子が日本に来た時、この万里小路正秀が接待役のひとりとして働いたそうですが、この時には関係は冷えていたか別れていたようです。
でも、この話を知るまでロシア人と国際結婚した人が華族にいたとはぜんぜん知りませんでした。もっと詳しく書いてある本とか探してみようかと思います。



「皇族誕生 (角川文庫)」


参照サイト
中公文庫 - 中央公論新社
https://www.chuko.co.jp/bunko/
華族(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E6%97%8F
版籍奉還(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%88%E7%B1%8D%E5%A5%89%E9%82%84
華族令(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E6%97%8F%E4%BB%A4
万里小路家(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E9%87%8C%E5%B0%8F%E8%B7%AF%E5%AE%B6
万里小路博房(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E9%87%8C%E5%B0%8F%E8%B7%AF%E5%8D%9A%E6%88%BF

関連記事
大正時代に人生が逆転した2人の少女の運命を描く。今井康絵『華恋がたり 大正華族令嬢メモワール』第1巻
http://xwablog.blog20.fc2.com/blog-entry-1635.html
うら若き少女の帝に侍従として仕えることになった貧乏貴族の少年が・・・。久世番子『パレス・メイヂ』第1巻
http://xwablog.blog20.fc2.com/blog-entry-1591.html
亨も将来のことを考えながらも、あの歌の人が忘れられず・・・。D・キッサン『千歳ヲチコチ』第5巻
http://xwablog.blog20.fc2.com/blog-entry-1743.html
近代日本を建設しようとする大久保の決意! 長田佳巳『週刊 新マンガ日本史 42 大久保利通 明治新国家の建設』(2011年8/28号)
http://xwablog.blog20.fc2.com/blog-entry-1587.html
友人の死に疑問を抱く女学生が子爵家に潜り込む大正時代ミステリー。碧也ぴんく『華族ワルツ』第1巻
http://xwablog.blog20.fc2.com/blog-entry-1299.html
貴族たちが貴族たりえる諸特権について。マイケル・L・ブッシュ『ヨーロッパの貴族 歴史に見るその特権』
http://xwablog.blog20.fc2.com/blog-entry-294.html



「華族たちの近代 (中公文庫)」
「武士から王へ―お上の物語 (ちくま新書)」
「蛮族王アッティラの秘宝を探せ! (上) (SB文庫)」



このブログのトップページへ 
デジタル・クワルナフ HPのトップへ 
web拍手・コメントはこちらへ
web拍手レスまとめページはこちらへ  
Twitter(matou_twi)はこちらへ




関連記事
スポンサーサイト

Appendix

カウンタ

カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

検索フォーム

プロフィール

管理人・馬頭

Author:管理人・馬頭
世界史系サイト「デジタル・クワルナフ」の管理人。ロシア・東欧史が大好物。馬。

FC2ブログランキング

FC2Blog Ranking

QRコード

QRコード

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。